作詞者、作曲者について
作詞 長井 盛之
 1905年生まれ。詩人。日本短詩の会主宰。福岡市在住。 〈著書〉『風に与える』(平1)
  本校の図書室に、定直泰雄著『福岡市市政施行100周年 福岡の校歌』(興英社、平成元年11月1日)がある。その「序」に長井氏の言葉が残されている。
  私が県教育行政の衝にあったある日、柳川市の古い小さな小学校を訪れました。授業が終わった午後の中庭から歌声がしますので尋ねたら、五十年前のこの学校の卒業生の同窓会で自分の植えた藤棚の下での校歌合唱だというのです。
私は何十年と根づいて中庭に広がった記念樹と歌声のとり合わせに、一種のいい知れぬ感動を覚えました。校歌は自分の心のふるさととなって生涯生き続けているのではありませんか。遠く他郷にあった人には、夢に見しふるさとの山河と共に、校歌と父母と朋友との少年の日の生活の歌声として、まなかいに生きつづけたのでしょう。
  校庭の一本の木が懐かしいように、校歌もまた心に植えられた名木のようなものです。
  私は多くの校歌を主として、安永武一郎先生の曲と組んで作曲させていただく光栄に浴してきましたが、ゆめおろそかに書き上げてはならないと自戒しています。
作曲 安永 武一郎
 元福岡教育大学学長。元九州交響楽団指揮者(永久名誉指揮者)。現ベルリンフィルコンサートマスター安永徹氏の父でもある。前掲『福岡の校歌』の序に「校歌に思う」の文がある。
 多くの人々が、大体の子育てが終わる頃、自分の幼い頃を偲んで同窓の級会(クラス会)をやったり、グループで集まる時など、皆の共通の思い出となるのは校歌ではないかと思う。
 校歌は音楽の時間に習った歌などを一緒に歌っているうちに、その頃の先生の顔や、遠くに去った友人の顔、校舎や校庭の樹木、教室の様子などを思い浮かべる時、やるせない程の懐かしい感慨に耽るものである。
 その時は無意識のうちに、純粋、純情だった昔のように、例え短い間でも純になり得るものだ。そこに歌の存在の意義もあろう。
 修学旅行のバスの中で歌った校歌を、バスガイドさんに褒められると校歌を愛する心が増し、甲子園での校歌に感涙を流し、卒業式で歌った校歌と雰囲気は永遠に脳裏を離れない。などなど、校歌をめぐる思い出は、人それぞれの違いはあっても多いものだ。
私も県内外随分と多くの校歌を作曲した。
  日頃から「校旗は学校の顔」「校歌は学校の心」と思っていた。従って校歌は、現在学んでいる生徒は勿論だが、卒業して後、級会(クラス会)などで歌う時にも、懐かしさを醸し出し得る内容の詞でありそれに伴う旋律(メロディー)でなければならないと思う。
 然し、作曲の中で一番手こずるのは校歌である。
 音域の制限があり、形式の単純さがあることである。その制限と単純の中に美しさを内在させ求める所に難しく思う因がある。
然し、校歌を全校生徒が声高らかに歌うのを聞く時は、作曲したものにとっては何物にも代え難い喜びである。
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