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■春住小学校 校区の概要



【春住校区の歴史】
 1820年頃、黒田藩から田畑を排領した3名の家族が移り住み、筑紫郡大字春吉村小字住吉平田と呼んでいました。
 明治の初めの頃の平田町には、農業、酒蔵業、飲食店、染め物店、ぶどう園経営などを仕事とする人たちの家が14~5軒くらいしかなく、あたりは田畑ばかりで、子どもたちが通う「春吉小学校」が見えていました。
 大正の初めになると、化粧品店、たばこ店、建設業などの人が移り住み、昭和の初め頃から少しずつ人家が増え始めました。
 それでも人家はまだまだ少なく、冬は大根畑、夏はカボチャ畑が周囲にはたくさん見えたそうです。
 平田町の春住小学校から200メートル南の畑には、博多人形を作るのに適した粘土が取れ、広く利用されていたものです。
 明治末から大正初期には、博多駅から塩原の間をロバの馬車が走っていました。
 初めてバスが走ったのは、昭和10年頃だそうです。

 春住小学校は、もともとぶどう園だった所が「博多コースター」という会社に変わり、その後、「ゼブラ自転車」という会社になり、その跡地に校舎が建ったのです。

※昭和45年頃、社会科の学習で校区のことを調べる学習がありました。当時の子どもたちが校区の方々に、昔の春住のことを聞きました。校区の方々が一生懸命思い出して話してくれた、春住校区のお話です。


【現在の春住校区は…】
○春住校区は博多駅の南に位置し、御笠川と那珂川の間にあります。

○交通の便もよく、企業の支店や事務所が多く集まっているところです。

○校区には、山王公園があり、自然にも恵まれています。春には桜の花が 満開になり、夏には緑がいっぱいになります。市民の憩いやスポーツの場としてよく使われています。
○公園に隣接して博多市民センター・体育館があり、公園共々多くの子供 たちが利用しています。

○比恵遺跡群が点在する地域でもあり、平成12年の調査では、学校に隣接する場所から、那津(なのつ)の一部とみられる大型倉庫の遺構が発掘されました。

○那津(なのつ)の官家(みやけ)とは、五世紀後半から朝鮮半島情勢の緊迫を受けて、非常時に備えることを目的に、また、北部九州を統括する施設として設置したものと考えられているそうです。

○日本書記の宣化天皇元年(536年)の条に、非常時に備えて大量の稲殻を運びこむために、「那津官家」を造る とする記述があるそうです。
(平成12年8月西日本新聞より) 


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「2017/07/27up]













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