歴史No.4
誰かお心あたりはありませんか?
〜  小呂島4人墓について  〜
 集落から少し離れた玄界灘を見下ろす島の丘陵に、島民の墓地が
あります。開島から361年、雨風に打たれ、中には傷み始めた墓石も
あります。それでも整然と並んでいる姿は島の方々の平穏無事を
願いつつ家々を暖かく包むように見降ろしているようです。
 さて、その墓地の一画にひっそりと祀られて並んでいる4つの墓石
があります。かなり表面が摩滅していますので、手で触りながら、表
面の文字を読んでみますと、そこには島にはない姓名が刻まれていま
す。それには、左から、

四人墓
    柴田茂克(海軍2等兵曹)
    □野□一(海軍2等水兵)・・・□の部分は判別不明
    深谷清一(海軍2等水兵)
    小坂七郎(海軍軍属)
 とあり、いずれも『昭和20年7月31日戦死』と書かれています。
 7月31日にここ小呂島に空襲があったという話は聞いていません
(島が空襲を受けたのは20年8月5日早朝)ので、「はて・・・?」と
思いました。そこで、この「4人墓」のいわれについて島の古老を尋ね
聞いてみました。古老の話を総合してみると・・・・・・
 戦争中陸軍と海軍の兵隊さん達が玄界灘の戦略上の重要
地点であったこの小呂島に常駐していたとの事。ある日軍事上の施設
を建設中、事故があり4人の兵隊さん達が亡くなったこと。当時として
は、遺体を送る術(すべ)もなく、ここ小呂島の墓地の片隅に
ひっそりと埋葬されたとの事でした。
 その4人の墓は毎月行われている女性部の方々によるお墓掃除の
折りに、島民の墓地と同じようにちりひとつなく掃き清められます。清掃
のあとは、線香を立て、花びんの水も換え、サカキや花々で飾って帰ら
れます。もちろんお彼岸のお参りも欠かされたことはありません。







 海に生きる人々の、人命に対する尊崇の念の深さは、よく知られている
ところです。たとえ島人でなくとも、民間人ではなくとも、異郷の人ではあっ
ても、その方々のご冥福を祈ることを絶やすことはないのです。
 戦後この4人墓を尋ねてこられた方はないと聞いております。すでに、
戦後60年を過ぎました。
 4人の軍人さんも今生きてあれば、80歳を越してあることでしょ
う。異郷の地小呂島で眠っておられる4人の方々のご親族、ご遺族の方々
もあるいは、このことをご存知ないのかもしれません。
 誰か、この4人のお名前をお心あたりありませんか。もしありましたら、
学校までご一報を(092-809-2911)
                                    (H18,10,3)