小呂の『秋祭り』 〜 小呂島の神々 〜
 毎年11月8日は小呂島の秋季大祭,通称『秋祭り』です。この日は、
「五穀豊穣」「大漁豊漁」「航海安全」「家内安全」を祈って漁師さんは
漁を、女性は畑仕事を一日休み、島は祭り一色に染まります。漁師さん
達の持ち船には、それぞれの船名の入った大漁旗で満船飾となりま
す。日頃は静かな小呂の港はまるで一斉に花が咲いたように明るく
賑やかになります。宮司さんはすでに祭りの4日前、西区宮浦三所
神社から来島、この期間は、島の産土神である七社神社の拝殿に
籠もっておられます。食事等身のまわりの世話は、それぞれの船か
ら一人ずつ計15名が、3つの班に分かれて行います。文字通り三日 写真@
三晩、各班が、お世話をしながら、籠もります。籠もりながら深夜に
わたり漁祈願が行われます。
 また、6日の夕方から翌朝にかけて「結願」(けちがん)と言って、
総締めくくりの祈りが、島の役職の方、15艘の船頭さんと共に行わ
れます。そして、翌日の秋祭りとなります。
 さて、今年の『秋季大祭』です。
 秋の冷え込んだ朝となり、玄界灘の空気も澄み渡っています。
男衆は、七社神社に全員7時に集合します。
七つの島の神々に祈って回る祝いの儀式のスタートです。その
直前、博多湾の方角から、朝の光が射しはじめました。
写真A
 四海おだやかな玄界灘の夜明けです。南方真正面に、玄界島、
糸島半島が逆光のためシルエットとなり、くっきりと浮かんでいま
す。(写真@)
 湾内の船は色とりどりの大漁旗で飾られ、このところの不漁を吹き
飛ばす程の賑やかさを演出してくれています。『大漁よ戻ってこい』
という願いも込められているようです。(写真A)
 スタートは『七社神社』からです。大漁祈願の幟が朝の潮風にゆっ
たりと振れています。拝殿、神殿を包んでいるソテツ、ビロウ、シュロ、
フェニックスの緑の葉もまたサワサワと鳴っています。(写真B)
 拝殿では、御神酒、収穫物である野菜、魚が神殿に向かって捧げられ、
神主さんの祈祷が始まります。拝殿に向かって正面中央に今年の当家
写真B
(その年、年内の神事のお世話をする当番の2軒)が、それをはさむように
左右に町内会長、漁協の組合長が座ります。拝殿に上がるのは、その
他、島の長老、各船の船頭達です。(写真C)
 ここの祭神は、宗像三神(たごり姫神、たぎつ姫神、いちき島姫神)、
事代主、大国主、猿田彦、あめのいわくす神の七神です。神社名の
『七社』もそこに由来しています。宮司さんの祝詞が終わると、当家
さんから参列者に秋の果物とお菓子が配られます。
 七社神社での祈りが終わると次は、島の最高峰(標高109m)の宮山 写真C
の中に位置する『獄宮神社』です。ここまでの道のりは急坂で、中年組
以降のみんなにはちょっと息が苦しいところです。何事も神事とあれば、
そんなきつさも我慢々々。ひたすら黙々と急坂を上っていきます。(写真D)
 第一の鳥居を入ると神域となり、うっそうとした手つかずの照葉樹林の
森が薄暗く、百数十段の階段を包んでいます。昔は、この山のウベをちぎ
りが、少年達のおやつ採りと楽しい遊び物だったとか。今年はウベが少な
いとの事。もしあったとしても今の子ども達も見向きもしないおやつとなり
ました。 写真D
 うっそうとした森に包まれた嶽宮神社の拝殿と神殿です。(写真E)
祭神は、速玉男命、イサナギ尊、事解男命の三神です。宮司さんの祝詞
が終わるとここでも、当家さんより参列者に果物とお菓子が配られます。
ビニル袋に大事に入れて、これ以降の参拝にも持っていくことになります。
 
写真E
嶽宮神社が済むと次にその脇にある小さな祠(ほこら)、住吉神社です。
住吉神(すみよしのかみ)といえば海上の守護神、それだけに島ではその
尊び方も大きいものがあるでしょう。小さな祠ではありますが、皆々、頭 
(こうべ)を深々とたれて、航海中の安全を祈ります。(写真F)
写真F
もと来た階段を足をガクガクとさせながらもどると、次は、七社神社の脇
にある『金比羅神社』参りです。航海安全の神として、海人からの尊崇が
高い神です。神殿の後ろは、かつてここが北限といわれたビロウ樹の森
です。(今は小呂島の北方40kmに位置する沖の島と言われている。)
                                      (写真G)
写真G
 次は七社神社の階段脇に鎮座まします『吉岡稲荷』です。(写真H)
樹齢300年を超すという、ソテツの大樹にすっぽりと隠れそうになって
います。次に周る『白丸稲荷』(写真I)と同じく、五穀豊穣をつかさどる
神、うかのみたまを祀ってあります。狭い離島ならではの穀物不足に対
する願いが、古来より島民の稲荷信仰を深いものにしていったものと
思われます。
写真H
写真I
 次は、『恵比寿神社』です。島内の神々の中で、この神社だけが、海の際
(きわ)に祀られています。恵比寿さんと言えば、町では商売繁盛の神、農村
では豊作の神、漁村では大漁神となります。漁師さん達は宮司さんの祝詞
の朗々と海へ向かって流れる声を聞きながら、大漁を願って神妙なおももち
です。(写真J)
写真J
 いよいよ最後7番目にお参りするのは、『地主明神』です。集落の一番奥
まった所に鎮座ましますこの神は、土地の神、安産、子授かりの神、ここ島
ではそれが転じて良縁祈願の神ということになっています。独身の漁師さん
方は、先輩に冷やかされながら、宮司さんの祝詞をあげられるすぐ近くに位置
するよう、やいのやいのと体を押されます。やや照れくさそうに足を進める若
者のはにかみが何となくほほえましいものを感じます。子が宝の島、人口減
が何よりも気になる離島であるだけに、地主明神に対する島民の尊崇の念
は、いつになっても高いものがあります。(写真K)
写真K
 以上七つの神々をめぐる祈りを終えると、最後は島民全員参加で祝いの
宴です。公民館に全員移動します。部屋の関係もあり、女性、子ども達は、
別室で祝いの膳をいただいて、秋の収穫祭を共に喜び合います。
 公民館ではまず、当家の受け渡し(次の当家2軒と交代)の儀式が行わ
れます。立会人は、宮司、町内会長、再来年の当家があたります。御神酒
が酌み交わされ、晴れて次の当家の誕生となります。これから1年間島の
神事をまとめる当番の引き継ぎということになります。尚この当家は島の
四十数軒が輪番ということですから、次に回ってくるのは二十数年後とい
うことになります。 写真L
(写真L)当家受け渡しの折りの御神酒の横には必ず鯨のヒゲが添えられ
ています。かつてこの小呂島が捕鯨基地として活況を呈した時代(江戸期)
の名残だろうと思われます。(写真M)
写真M
 宴もたけなわとなった頃、やおら太鼓が運ばれてきて、島の祝い唄が
参加者全員で声高らかに歌われます。
 前唄、中唄、と休みを間にはさみながら、最後のおつもり唄でしめくくりと
なります。(写真N、O)
 おつもり唄の最後の段には、
 
当島繁盛(ヨイヤサ)舞遊ぶ
 三国一じゃ、(サア)お座は祭りすまいた
 (ヨーカ オイ) 写真N

 澄み渡った秋空の下、眼前の広々とした玄界灘に島人の歌声はどこまでも
響き渡ります。



                                 −   おわり  −
写真O