島名『小呂』考 
 島名の『小呂』(おろ)は、一体何に由来するのであろうか?この珍しい地名について、
島名を初めて聞かれた方は、誰もが疑問を持たれるに違いない。この島を知らない人は
まず、島名を『ころ』と読む。コロコロしている小さな島だから、そのイメージがつきまとうの
かも知れない。しかし、この地は古来より『おろ』である。かつて本校100周年誌を書いた
折り、私なりに当時としては精一杯調べたつもりでも、この地名の由来について(島名の
『おろ』についてその由来は、はっきりとしない。島の伝承によれば、神話時代の大蛇=
おろち、の転訛といわれる。
 よく似た地名に、対馬の地名は、オロ(豊玉町)、オロシカ湾(同左)オロノ浦(同左)、
オロコロ(美津島町)がある。
対馬の郷土史家にその由来を尋ねると『拝む』の意のオロあるいは『大蛇』(おろち)の
オロではないかという。
 また、『津島紀事』には、オロシカ湾のオロは小呂、シカは志賀(神)であり、「海神を拝む」
の意味ではないかという。
 さらに、古語によると「オロヨシ」(少し良い)、博多弁で今も使われる「オロヨカ」(少し良い)
などから、オロには、「少し」・「小さい」の意味も考えられる。小さい小さい島だからだろうか?
いずれにしろ、小呂島の名の由来は、古代玄界灘を行き来した人々の何らかの意が込めら
れているのであろう。)と書いた。(小呂郷土誌『海祭』P66)
 さて、それから10年が経過した。そして、それ以後も島名の『小呂』の由来について気に
なって仕方がなかった。
 はっきりとしているのは、宋からの帰化人謝国明が13世紀はじめ本島の領有権を宗像氏と
争った記録があり、その折の書面に「オロ島地頭職」とあるから、この頃には『おろ』という地名
はある程度定着していたことになる。下って、15世紀半ばには、朝鮮国外交官、申叔舟がその
著『海東諸国紀』の中で、本島を『於路』(おろ)と書いている。
 このことからして、「おろ」に合う漢字を充てて書き表したものと思われる。
 しかし、それ以前のことは今もって霧の中である。とはいえ、その霧の中から最近2つほど
気になることが浮かんできたので以下に述べてみたい。
 一つは、『古風土記・筑前国風土記』に、筑前の神話について述べた部分があり「天日鉾(あ
めのひほこ)は高麗(こま)の国の意呂山(おろやま)に天降った」とある。北方アジア地域に見ら
れる、太陽が山の頂に降りてくるという神話のパターンがここには見られる。
 この意呂(おろ)が、筑前の離島小呂島の島名に由来するのならば、再び島の歴史がオロチ
伝説とおなじく神話時代に遡ることになる。想像をふくらませるならば古代朝鮮半島、それも半島
北部からの九州への移住集団が、朝鮮海峡、対馬海峡、玄界灘と渡ってくる途中、望郷の念から、
この島に『意呂』(おろ)とでも命名して後に、風土記の中に伝承としてさりげなく、書き入れていった
のであろうか。
 さらにもう一つ、それはこの「オロ」という地名の持つ響きである。どう考えても私にはこの響きが
大和言葉として耳に入ってこないのである。そこで、これを漢語か韓音で考えてみてはどうだろうと
考えてみた。韓音までは未だ不勉強で今の私には何も言えない。ただし、韓音(ハングル)で考え
てみると「オロ」は、 「 」となる。そしてこの意味は「漁労」(おろ)である。魚の沢山居る海に
囲まれた島として名付けた地名と言えなくもない。ただし、中世以前に果たして「漁労」という言葉そ
のものが、韓半島に定着していたのかと考えるとこれも甚だ心許ないものが残る。そこまで来ると、
今の私には、再び霧の中に包まれたままの『小呂』地名考である。御教示願いたい。
     −  おわり  −      
九州西北部の島々