『島の卒業式』
 小中併設校では、どうしても入学式は、小学校1年生が、卒業式では、中学校3年生が主役になりがちである。入学式の中学1年生、卒業式の小学6年生は影が薄くなる。しかし、どの子も9年間の在学中、自分が二度は主役になるのだから特に不満はない。卒業式での「呼びかけ」などは、小学校を卒業する子も在校生と一緒になって中学校の卒業生の方に向き直って感謝とお別れと激励の言葉を述べる。一般の学校から見ると奇妙な卒業式に思われるかもしれないが、これが、本校の小中併設校として発足以来58年間ずっと続いてきたスタイルである。
 さて、その中学校3年生の主役M。M子は9年間自分一人のクラスで育ってきた。小学校時代は、複式学級だから、隣接学年に仲間がいて独りぽっちではなかったが、中学校は複式ではないので文字通り自分独りぽっちのクラスで頑張り通したのである。では、3年生一人クラスのM子は、どんな頑張りを通してきたのだろうか。
 生徒会長―選挙とは名ばかり。必ず、会長になるものとみんなが推薦する。中3になると本人もまた、自分がなるものと、初めから覚悟している。毎月の生徒集会、各委員会(といっても本校は、わずか3つの委員会しかないのだが)の総まとめ役、小学校児童会との連携と推進役。毎月2回のボランティア活動をリードし、土曜休みを返上しての浜掃除(街から時々釣り客が来るようになったのは、よいのですが、海岸のあちこちに空き缶などのゴミが散らかり始めました。困っています。)。
 部活動―中学校生徒の人数が足りない(M子を入れて6名)ので、二役です。ある時は、バドミントン部、そしてある時は音楽部。休む間もないM子の3年間でした。本来負けん気の強いM子ですので、どれも中途半端には、終わりません。バドミントンの個人戦では、市大会でベスト4まで勝ち進んだことも。また、音楽ではリコーダーアンサンブルコンテスト二重奏の部で市大会金賞(1位)、県大会では、最優秀賞は逃したもののこれも金賞(2位)に輝きました。
 卒業制作―もちろん一人での製作です。校訓を木彫レリーフでと、私から頼まれたM子は、1月から早速製作に取りかかり卒業式前には見事に彫り上げ、地に緑青、文字に金泥を入れ体育館ステージの右に掲げてくれました。今、錬磨協調創造の三つの校訓の文字が島の体育館に射し込む外からの光を浴びてさん然と輝いています。
 何事も100%以上の努力を怠らないM子は、今年、市の弁論大会にも挑戦しました。本校では初めての参加です。5分間という持ち時間で自分のテーマをしっかりとした論旨で組み立て、多くの人の前で発表するのです。タイトルは、『私を育ててくれたもの』。両親・島の人々への感謝の心を込めたスピーチです。いつも少人数の授業しか経験のないM子だけに、この時は、練習からかなり熱も入り緊張していたようです。大会が近づくと夜も教員住宅の集会室に来ては、国語の先生にストップウォッチで計ってもらい、何度も何度も練習と修正を重ねていきました。頑張り続けた練習期間でしたが、大会当日、朝から玄界灘は、大シケ。渡船は欠航。泣くに泣けないつらい朝になりました。
 そのM子が、4月からは、いよいよ島を出て、博多(島では本土のことをこう呼びます)での高校生活に入ります。M子の卒業式での答辞は、ここまで自分を育ててくれた先生方、両親そして島の方々への感謝の気持ちがいっぱい込められていました。そしてもう一つ、高校での第一の目標は、多くの素晴らしい友達を作ることだそうです。私の祝辞にも「これまで友達が少なかった分だけ、これからの高校生活では、たくさんの友達を作ってください。」の言葉を添えました。M子はその言葉を聞きながら、輝く真剣な目でうなずいていました。
 式が終わると、恒例の校門での見送りです。出席者全員(全世帯から一名以上参加だから全島民のようなもの)が、一本道の通学路を、手を振り手を振り去っていくM子に向かって力いっぱい手を振ります。やがて、M子が峠の向こうに消えていく頃、見送りの人々の万歳三唱でしめくくりです。『博多での生活がんばって』の大きな紅白の幟(のぼり)が、いつまでもいつまでも玄界灘からの潮風に揺れていました。