『詩(うた)の島づくり』
 『この水は、飲めません』
 島の通学路(軍道)1.2kmの坂道で、見あたる文字は、わずかこの一文のみである。(「あった」と言う方が今は正しい)
 看板の文字、道路標識の文字が、溢れている町の方が恵まれている、とはさらさら思わないが、それにしてもさみしかった。本校の児童生徒17名にしてみれば、 澄みきった空気を朝からたっぷりと吸って、緑の山々、碧の海峡に包まれ、車が1台も通らない静寂なこの通学路は、確かに恵まれ過ぎた環境と言ってもいいだろう。
 しかし、それでも我々にとっては、なぜかさみしかった。(なぜだろう!)そう考える内に、はたと気づいたのは、島の子の語彙の乏しさであった。この子達は、在学9年の小中学生の間、自然には恵まれていても、そのことに気づかず、ただのんびりと眺めて学校へ通うだけである。言い換えれば、その美しさを言葉で表現しようとしないのである。
「小呂島をどう思うね。」と問いかけると、
「島は、自然がいっぱいで美しいから、大好き。」と、児童生徒は、異口同音に自慢気に答える。
「じゃあ、どんなところが、どんなふうにうつくしいの?」と、たたみかけるように尋ねると、
「????・・・・」と困った顔をする。
 明らかに自分の中に持っている言葉数が足りないのである。じっくりと見つめようとする観察眼が育っていないと言ってもいいかもしれない。
 人は言葉で考える。つまり、自分の中に宿している語彙が多ければ多いほど表現も豊かで細やかになる。そしてその分、自分の思い(感情)をより詳しく相手に伝えることができる。本校の児童生徒の作文の苦手さも語彙の乏しさが一因であろう。もちろん、その不足を補うには、読書も大切であろうし、交流学習によるコミュニケーションの機会を図る手だても必要となってくる。しかし、それも離島では限られてくる。その上、全人口220名というこの閉じこもりがちな環境は、毎日が、わずかの言葉でも生活可能という世界も作ってしまうのである。
 そこで、先生方はあせった。このままではいけないと。そこで、浮上してきたのが、島ならではの看板作りである。まず手始めに、細い通学路の左右に手を延ばせば、すぐに触れることが出来る樹木に、樹木札を下げて、子ども達に朝に夕に読ませようというのである。
 『マサキ』『トベラ』『ハゼ』『ナンキンハゼ』『エノキ』『ヤブツバキ』『シャリンバイ』『クワ』『マルバグミ』『アキグミ』『メダケ』『ダンチク』『ビワ』『イヌビワ』『キョウチクトウ』『カイズカ』『ネムノキ』等々、次から次へと書いていった。表は片仮名、裏は漢字で書き、風でクルクル回れば、どちらも見える。そして少しずつ覚えていく。
 さらに、中学部の理科の先生は、一つ一つの札に、その植物の学名と分布を詳しく書き加えてくれた。一つを例に取れば、『ネムノキ』(合歓木・分布本州、四国、九州、沖縄)と書かれた札が、目の前のネムノキの枝にクルクルと回っているのである。これが三十枚ほど通学路で読まれるようになった。
 そして、3ヶ月ほどが過ぎていった。しかしここで、先生方はこれでは、ただ単語が増えたに過ぎないと考えた。
 そこで要求はさらに高くなった。「島の子に詩(うた)を作らせましょう。この美しいと思っている島の景色を、俳句や短歌にして、樹木札のように通学路にぶらさげて、自分の詩、友達の詩を読み合わせましょう。」ということになった。もちろん全職員賛成。というより、先生方も、どんどん詩(うた)づくりに張り切った。それにつられて(?)子ども達も張り切った。
「テントウムシ 春とまちがえ 出てきたよ」(小2年)
「ほかほかの やきいもの秋 はやく来い」(小3年)
「チューリップ いろんな色で お出迎え』(小4年) 
「新学期 5年になって うれしいな」(小5年) 
「にっこりと カラスノエンドウ どこ見てる」(中2年)
「飼育小屋 すっぽり菜の花 埋め尽くす。」(中2年)
「木枯らしや 校庭にまで、 波の花」(小教師) 
「明日からの 博多暮らしを話す子の 瞳は澄みて 小呂に春来る。」(中教師)等々 
約100句ほどが通学路に下がった。
 小中学生、先生方の詩(うた)の札が、どんどん増えていくと、次はPTA(本稿では島民全員)も黙ってはいなかった。老いも若きも、自信作の俳句・短歌を学校に届けてきた。今、島はの詩(うた)の花盛りである。
 この華やかさが、学習面(特に国語力)への効果につながれば、喜びはこの上ない。