『オノコロ神話』
 「イザナギとイザミの二柱の神は、矛(ほこ)を海に漂うものに突きさして、ぐるぐるとかきまぜると、やがて、『こおろこおろと』凝(こ)って行き、その矛を引き上げると、矛の先から一滴一滴と潮がしたたり落ち、次第に積もりかたまってついに島となった。これを淤能碁呂(おのころ)島と呼んだ。」と、『古事記』の冒頭にあるが、この淤能碁呂島はいったいどこなのか未だに謎である。
 有史以前つまり神話時代のことだから解らないのが当然と言えばそれまでであるが、日本の島々の誕生1番目となればやはり気になる。オノコロ島のあと、淡路島、次に伊予、隱岐、つくし(九州)、壱岐、対馬、佐渡、本州と現在その位置が特定できる島々が、二神から生まれていったと書かれているのだからなおさらである。
 私がこのオノコロ島に魅かれたのは昭和50年頃であった。文庫本の『古事記』を旅先で読みながら、「オノコロ島?オノコロ?オノコロ?オノコロ????・・・・・・・・」と何度もつぶやきながら「はて、どこかで聞いたことがある名だぞ?・・・・・・オノコロ・オノコロ・オノコロ・オロとノコ・・・・・・小呂と能古、あれ?小呂と能古じゃないか!」と自問自答し、小躍りしたことを覚えている。
 日本の神話の類型が、お隣の朝鮮半島にあるのはよく知られている。天(そら)から降りてきた神々による国造り(国生み)、というところがよく似ているのである。また、弥生期に朝鮮半島から多くの渡来人が日本列島(特に北部九州)に移住してきたことは動かせない事実である。そうであれば、オノコロ島が、朝鮮半島と北部九州の間にあるのでは?と解釈しても、さほど曲解ではない。そこで、オノコロ島とは「小呂」と「能古」とあえて言いたくなるのである。
 これは、私が一番初めに出した説と、ひそかに自負して、いずれ発表を、と意気込んでいたが、すでに40年代に、考古学会の重鎮、古田武彦氏が、その著書『盗まれた神話』の中で「実は玄界灘の島々の中に小呂島と能古島というのがあり、これは古事記の中のオノコロ島とよく符合する。」といったような事をすでに発表しておられるのを後に知った。先を越された私はがっかりした。
 がっかりばかりしておれないので、今度は、古事記の国生み神話の部分を脚本に仕立て、昭和63年に小呂小の3・4年生と能古小の3・4年生との合同劇として少年科学文化会館で演じてもらった。題して『おのころ物語』である。
 概略をお話しすると、オノコロ島の心優しい夫婦の神様が、島民のために、つくしの国の人々のためにやむなく分かれて暮らすことになった。「わしは向こうにオロう。」と言った男が三が小呂島に、「私は、こちらにノコりましょう。」と言った女神が能古島になったというオチでしめくくった。(ストーリーの詳細は、第9話をお読みいただきたい。)
 その時に演じてくれた子ども達は、今はもう30歳に近づいている。中には、たくましい青年漁師となり、玄界灘を持ち船で縦横に走り回っている。
 つい先日のこと、3・4年生の学級に入った折、帰りの会で、「建国記念の日というのは、日本が生まれた日です。ところで、日本の国でどこが最初に生まれたか知ってますか?」と問いかけると、子ども達は、困った顔をしていた。しばらくして、「それはね、小呂島でーす。」と私が言うと、「うそー。」と一笑に付されてしまった。嘘かも知れない。しかし、このようなロマンはいつまでも持ち続けたい気がする。