そうさくみんわ 『おのころものがたり』
むかし むかし、うーんとむかしの はなしたい。
つくしのくにが、ようやく できあがったころのはなしたい。
かみさまと 人げんが、いっしょに すんどったころのはなしたい。

つくしの はかたの おきにゃ 大きな しまが、うかんどった。
あんまり 大きすぎて、こんしまを まわった もんは まだだあれも おらんかった。
大きかばかりじゃなか、そん 高さというたら なかった。
しまの ちょう上からは、晴れた日にゃ とおく からのくにまで 見えるほどじゃった。
そんしまは、みんなから おのころじまと よばれとった。
おのころじまには、おのころと いう ふたりの やさしか ふうふの かみさまが、すんどった。
ふたりは、どげんときでも たすけあい なかむつまじゅう くらしとった。
たき木を ひろうたり わかめを とったりしてのう。
ばってん そん おのころじまは、ほかん かみさまや 人げんには、あんまり すかれとらんかった。
それはな、おのころじまが あんまり 大きいもんで、つくしの国の 雲ん(の) かみさまも 山ん(の)ちょう上に
すぐ ぶつかって うごけんとたい。たいようの かみさまが ひるま つくしの国ば あかるくてらそうとおもうても、
すぐに 日がかげって しまうとたい。
すかんもんは、まだまだ おった。
それはな、つくしの くにの 人たちたい。
わかめや かじめや さかなを とって くらしとった 人たちたい。
おのころじまが、 さかなの いっぱいおる げんかいの うみばふさいでしもうとるけん 
からのくにの うみには 大きな さざえや くろぐろとした わかめやかじめが どっさどっさとれるときいても
行くこともできん。
「まあだ さかなが とりたか、・・・とりたか・・・。」
「おいしか わかめば くいたか・・・。」
「大きな さざえば くうてみたか・・・。」
そげん いつも 言いよった。
つくしの国の人たちは、そげん おもうて 大きすぎる 高すぎる こん(の)おのころじまが、ちょっとめいわくやった。
おのころの ふうふの かみさまは 人げんの そげんくじょうば きくとが いちばん つらかった。
すぐ しょんぼりなりよった。
ふうふの かみさまは 日に日にげん気が のうなったきた。
ばってん とうとう さびしゅうて たまらんけん
おのころの ふうふのかみさまは
かみさまたちの かみさまの ところへ たのみに いったげな。
「わたしたちのしまを 小さく して下さい。小さく して下さい。」
そげん たのんだげな。
あんまり いっしょうけんめい たのむもんやけん、かみさまたちの かみさまは そのこころにうたれ、
おのころじまば ふたつに わけて ひくく 小さく してやることに したげな。
おのころじまは わけられ、小さく ふたつの島になって しもうた。
ばってんそん時 名まえも ふたつに わけな いかんかったげな。
ふうふの かみさまは わかれの ときに いうたげな。
「わしは、あっちに おろう。」
「わたした、こっちに のこりましょう。」と
「おろう。」 というた かみさまが 『おろのしま。』
「のこりましょう。」 というた かみさまが 『のこのしま。』
小さくなった ふたりは それから はなればなれになって しもうたげな。

ふたつの しまは いま りょうしさんたちの みちしるべに なって ほんとうにたすかっとる。
のこのしまと おろのしま。
ちょっと はなれて しもうたが かぜがふく日にゃ いつでも、おーい おーい と よびおうとるぞ。
ほら みみば すましてん。
ほら きこえろが。

ほら

ね。
☆ことば
■つくしのくに(今の福岡県とそのまわり また九州全域をさすこともある。)
■からのくに(今の朝鮮半島にあった国)
■げんかい(博多の沖の海)
■くじょう(不平・不満・もんく)
あとがき
 筑紫(つくし)の国は神話のふるさとです。神話のふるさとは、とりもなおさず、民話のふるさとと言えましょう。
わたしは、この地に生まれ育ったことを、時に幸せに思うことがあります。そんな私は、よく旅先で、何の目的も
なく野原でごろんと寝ころび、空の雲をながめてはふるさとを思い空想にふけることがあります。この物語も、
ある日ある時、ふと思い浮かんだお話です。無意識の中に小呂島と筑紫の国が気になったのでしょう。
 そんな私が、能古島に9年間、小呂島に7年間奉職することが出来たのは、何かしら因縁めいたものを考えず
にいられません。といいますのは、考古学的には立証が難しいのでしょうが、『古事記』の冒頭に出てきます。
日本誕生最初の島、於能碁呂(おのころ)島はやはり、小呂島(おろしま)と能古島(のこのしま)の合称では
なかろうかと、ずっと以前から考えていたからです。
 それには、先駆的弥生遺跡がこの九州地方に集中していることや、日本の伝承物語の背景と筑紫の地理的
条件の合致という傍証も否定できないからです。
 もとより、ここでの、おのころ島分割という島の成り立ちは作り話にすぎません。『そうさくみんわ』とさせていた
だいたのも、その辺りの誤解をなくしたかったからです。しかし、それでもなお−仮想であっても−当時(弥生・古代)
の民衆の素朴な願いを織り込むお話を創ることは、その成り立ちと何ら矛盾しないと考えます。筑紫の国の
離れ島、小呂島と能古島にこんな話が生まれてもいいじゃないかと、そんな気持ちなのです。玄界灘の潮風を
日がな一日たっぷりと浴びて育っている島の子に、少しばかりロマンのひとときを味わってもらえればと願い、
このお話を書きました。
第9話 おわり