小呂島は香椎宮の四至? ・・・対馬最大の古墳と香椎宮をつなぐ小呂島の位置関係とは

 香椎宮はかなり古いお宮だ。しかも天皇家に直結するお宮(当時は香椎廟)として、宇佐神宮(大分県)に次ぐ別格扱いだったらしい。何せ、仲哀天皇が熊祖征伐のために都をおき、亡くなった地でもある。その由緒から、古事記や日本書紀にも、橿日宮や訶志比宮(かしひのみや)として記述されている。その香椎宮に編年記という書物があり、724年に香椎宮を造営する際、香椎宮の領域をあらわす四至の北端として「北は尾呂」という記述があるらしい。「西は壱岐」=壱岐島の聖母宮というから(聖母宮http://www4.ocn.ne.jp/~syomogu/yuisyo.htm)、尾呂=小呂島と考えて不都合は全くない。香椎宮に問い合わせてみても、やはりそのような回答だった。

 注目すべきは、小呂島の位置が、香椎宮から見て「夏至の日の入りの方角」にあたることだ。古代より太陽は、アマテラス大御神(つまり天皇家の祖先神)として崇拝していたので、夏至の日という1年の中で特別な日に、小呂島に太陽が沈むように見えるところに香椎宮が造営された可能性があるのだ。

正確には、香椎宮の参道の先の海中に小さな岩礁があり、その鳥居(御島神社という)から見て夏至の日に小呂島に太陽が沈むことになる。

しかし、この鳥居の先には海の中道があり、直接小呂島を見ることができない(さらに現在は人口島があるので、当時の面影は全くない)。

ただし、若杉山の山頂(太祖神社の上宮)から見ると、なんとこの鳥居と、小呂島が一直線に結ばれ、その先には対馬まで見えるのだ(参考:日の出・日の入・時刻・方角マップhttp://pcrice.web.fc2.com/sun/)。

しかも、延長線上の対馬の町が美津島町鶏知(けち)といい、ここには対馬最古で最大の古墳である出居塚古墳(でいづか=大塚の意味という説あり)がある。ぜひこちらのサイトで確かめていただきたい。(長崎旅ネットhttp://nagasaki-tabinet.com/guide/830/)。つまり夏至の日は、太祖宮(若杉山山頂)から見て、香椎(御島神社)の鳥居、小呂島、対馬の鶏知(出居塚古墳)の先に夕日が沈むことになる。

そういえば、鶏知と小呂島を結ぶかもしれない伝承も小呂島に残っている。小呂島には大蛇穴といって、北の端に海蝕洞がある。また、島の西口にもかつて海蝕洞があり、ここと北の海蝕洞がつながっていたのではないかといわれている。小呂島に人が住むようになった頃、この穴が通じているかどうか確かめるため、一羽の鶏を穴から入れた。鶏は程なくして、もう一方の穴から出てきたがその後すぐ死んでしまったという話が島民に伝わっている(鶏が大蛇に食べられて死んだという話もある)。穴が通じていることを(大蛇が居ることを)「鶏」が「知」らせたのである。

事実は、夏至の夕日が、対馬の「鶏知」の出居塚古墳から→小呂島→香椎宮の鳥居→太祖神社(若杉山山頂)まで、貫くのである。

夏至の日を境に、日はだんだん短くなる。また、日が沈むことは、闇が訪れることであり、次の日ちゃんと太陽が上がることを、願わずにはいられなかっただろう。この特別な日に、対馬→小呂島→香椎宮御島神社→太祖神社と夕日が差し込むことは、天皇家の祖先が対馬から来たことを示唆しているようで興味深い。「太祖」=「大いなる先祖」の意味にとれるし、「小呂島」=「オノゴロ島(イザナミ神とイザナギ神が最初に造った島)」である可能性があるからだ。
太陽が先祖の地(対馬や小呂島)に帰って行くが夏至の日ととらえていたから、若杉山に太祖神社が造られ、香椎宮が香椎廟(墓の意味)と言われていた可能性だってあるのだ。古代人が後生の私たちに残した謎解きのようでわくわくしないだろうか?