島のくらしと台風
 台風14号は、九州をほぼ縦断して、その力のすさまじさを残していきました。
今回もまた、少なからぬ被害をもたらしてしまったことを知るにつけ、自然の力、自然災害
の恐ろしさを、改めて考えさせられます。
 さて、台風ですが、このような時、島の人々はどのように対処しているのでしょうか。
 今回は、台風14号を例にとり、お話ししてみたいと思います。

 まず今回の14号のエネルギーのすさまじさが天気予報で伝わりました。すると、漁師さんは、
島の船の半分ほどを嵐が来る以前に博多の港へ避難させます。それは、船がぎっしりと
島の港に停泊していると、強風に揺り動かされて、お互いにぶつかり合って壊れてしまう
からです。小舟(伝馬船)は、もっと風に弱いので、ウインチで陸に揚げます。昔は、
コロを使って揚げていました。これらの仕事は、島中の人々が協同で作業をします。
勿論、一艘々々の船は、ロープでしっかりと陸地に固定されるのですが、そればかりではありま
せん。お互いの船同士もロープで固定するのです。このことを舫(もや)うとも言います。
そしてこのロープのことを舫い綱(もやいづな)とも言います。舟偏になっているのもうなずけますね。
 このように、自分だけの舟を守るのではなく、島民全員がお互いの舟を自分の舟のよう
に思い、昔から助け合う姿があるのです。生活の糧を生み出す貴重な船ですから、この
ような精神は漁師集落の自然発生的なものかもしれません。
 さて、島の半分(約十艘)ほどもいなくなったのですから、港はさびしいものになってしま
いました。こんな時は、島の子も、何となく元気がなくなります。しかし、落ち込んでばかりは
いられません。今度は食糧の確保をしなければなりません。一日一本の市営渡船も欠航
するのですから、台風による高波が続けば続くほど、島の物資は乏しくなるわけです。
(私は、カップ麺と、パックカレーをこの日のために大切に持っておきました。)島の店は、
一軒だけです。44軒の島の方々や先生方16名は、一斉に漁協の売店へと向かうのです。

 さて、こうして、台風が来るのを(来てほしくないと願いつつ)じっと島の人々は待つのです。
9月5日の早朝より風はどんどんと強くなりました。学校までの坂道(約1.1キロメートル)は、
大人でも立って歩けないほどになりました。聞けば、博多(福岡市街地のこと)はそれほどでもなく、
学校も平常通りとの事。山脈を背後にして、北側に開けた平野の街と、小呂島のように南
斜面に家々が肩寄せ合っている玄界灘の離島では、こんなにも風の当たり方が違うのです。
 本校のみ5日も6日も休校といたしました。1年生から9年生までそれぞれ10時間ほど
授業が遅れることになりました。今後少しずつ取り戻していこうと計画しているところです。
 次の写真は、9月6日の小呂島の教員住宅のすぐ下の波戸に打ち寄せる波しぶきです。
この日の波の高さは10メートルと発表がありました。
 私の部屋は二日間、地震でいう震度3位に揺れ続け、なかなか眠れませんでした。
市営渡船『ニューおろしま』(小呂島−姪浜間40kmを1時間5分)は、波の高さ3メートル位で、
欠航します。(年間50日ほど欠航)台風が去ってもうねりが残りますので、しばらくの間、欠航が
続くかもしれません。給食物資も姪浜に止まったままですので、明日のことが案じられます。
おだやかな天気であれば、島のくらしは、心なごむ本当に素晴らしい一日となりますが、
『島のくらし』には、こんな一面もあるのです。
                                                  第四話 おわり