歴史No.1
学校のうつりかわり
 小呂小学校は、今から107年前(明治32年)、島にも学校を是非という島民の願いから
創設されました。福岡(博多)では、すでにそれよりも20年ほど前に学校ができはじめていましたので、遅れたくないという島の方々の向学心から、できたものと思われます。
 初代の校長先生は、池田亀吉先生といって、それまでにあった島の寺子屋の先生です。たった一人で、小学校1年生から4年生まで(10名)を教えてありました。大正時代に入ると、子ども達も増えてきたので、亀吉先生の奥様と二人で教えるようになったとのことです。
 現在に至るまでには、台風で学校が全壊して、授業ができなかったり、戦争中の休校、戦後児童数が増えた時の二部授業(午前と午後でのグループが分かれたり、半分はお宮で勉強したり)など様々なつらいこともあったようです。
 そして、昭和24年には、それまで中学校が島にはなかったので、島外(北崎)に住んで(寄宿といいます。)通っていた中学生が帰ってきて、小学校と一緒の校舎に通うようになります。やがて中学校は独立し、小呂小学校と併設され、『小呂中学校』ができたのです。今から57年前のことでした。
 このように、小学校・中学校の併設校は、現在福岡県では、本校のみになります。ですから、私は小学校1年生から中学校3年生までの二十名の元気っ子達を『1年生から9年生』と呼んでいます。中休み昼休みは、1年生から9年生まで、人工芝のグラウンドでみんな仲良く、力いっぱい遊んで大汗をかいています。
 写真にありますように、学校の周囲は、緑いっぱいの山々です。緑の山々からは今日も、朝から、
 ベンキョー ガンバッタカー (勉強、頑張ったかー)
 ベンキョー ガンバッタカー (勉強、頑張ったかー)
 とホトトギスがみんなに語りかけています。
 二十名の児童・生徒達の明るくはずんだ声もグラウンドを越えて、周囲の山々にこだましています。ホトトギスさんもびっくりしていることでしょう。
                                              第一話 おわり
小学校と中学校が同じ校舎内にあります。玄関の表札には「小呂小中学校」と書かれています。
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